日本犬の中型で大物獣猟犬といったらアイヌ犬で決まりだ。
*注1
鹿や馬の首を一撃でへし折るというヒグマの猟に使われてきたこの犬は、
ちょうど手頃な大きさと厚い綿毛と硬いさし毛のすばらしい被毛におおわれ、極寒
の大地で磨かれた日本犬の原型ともいえる犬種だ。粗食に馴れ一旦猟場に出向
くや零下20度30度の極寒にも耐える体質と気質を持つ素朴な犬である。
注2
伝法氏によれば、山中の猟場ではご主人様の「脱糞」が至上のごちそう?だ
そうだ。 この犬の表看板は「敏捷・活発にして軽快」だ。やはり、このアイヌ犬の
真価は北の広大な大地の自由闊達な環境のもとに発揮されるに違いない。
注3
小生も土屋氏の書を読むまではアイヌ犬は北方領土から入ってきた樺太犬
(エスキモー犬)がルーツかと思ってた。ところがアイヌ犬は逆に南方よりアイヌの
人の祖先とともに北海道に移り住んだ縄文犬そのものだというのだ。
つまり四国犬・紀州犬は南方からの縄文犬に朝鮮半島からきた大陸系弥生犬
が混交したのに比較して、アイヌ犬のDNAは南方からはいった古い犬種がその
まま残っているのを証明している。
この犬はアイヌの人々からはセタ(シタ)と呼ばれことのほか大切にされ、蝦夷
地で狩の片腕として活躍してきた。
しかしながら現在の北海道においては環境の変化が進み、競争馬の放牧等で
大物獣猟犬の使用範囲が狭められている。つまり世界的傾向で野山が公園化
されていく中で犬による狩猟が制限されているという矛盾が発生している。
<アイヌ犬の系列>
@千歳系統 祖犬「阿久」オスでアイヌ犬史に残る稀に見る優秀な
ヒグマ猟犬の系列。その孫の「ピリカ」メスはアイヌ犬の渋さ
をもつ戦後のサンプル的名犬。
A岩見沢系統 祖犬「メリオ」という一頭のオスから出発。一時アイヌ犬は
この系列で代表された。額段が浅く口吻も長めで洗練された
美しさ品位があった。毛色は赤が多い。
B平取系統(日高) 「一郎」が代表的な名種犬。山出しの素朴さ、野性的な
味わいに限りない魅力を感じる。加えて豪胆な気性や渋さを
持つ。毛色は胡麻が多い。額段は深くマスクも黒い。華麗さ
がないので展覧会では入賞しにくかったので失望されて
今や数が少ない。
以下の三系列は今や幻の存在?
C厚真系統(虎毛)D阿寒系統(北方犬の影響を受けている)E渡島系統(白犬)
<参考文献>
注2 「アイヌ犬の知識」 伝法貫一氏 天然記念物北海道犬保存会 昭和35(1960)年刊
注3 「北海道犬のはなし」 土屋良雄氏 北海道新聞社 平成元(1989)年刊
*注1 ヒグマ(羆)
内地のツキノワグマ(月の輪熊)は植物性のものを主食とするが、北海道のヒグマは
植物性のものを食べると同時に肉食でもある。牛、メンヨウなどの家畜を襲い、時には
人をも食い殺す。ヒグマはツキノワグマとは比較にならないほど身体が大きく500kg
を越すものさえある。いわゆる散弾銃では皮を貫通しない。たとえライフル銃であっても
急所をはずしたら死なないばかりか逆に射手に襲い掛かってくる。一旦手負い羆となれば
大変危険な存在となる。ヒグマのパンチは強烈で牛たちの首を一様に直角にへし折るほど、
その力は強大だ。内地の人びとのとって熊は愛らしく思えるだろうが、ヒグマは恐ろしい
猛獣なのだ。 ( 参考文献 「熊撃ち」 吉村 昭氏 筑摩書房刊
)
神奈川県伊勢原市在住複数のアイヌ犬とともに大物猟を行っている木村まさお氏
は、下記の警鐘を鳴らしている。
「アイヌ犬は北方の犬である。被毛は綿毛が密生しており、四季を
通じてオーバーを着用しているようなものである。内地の猛暑に
一応耐えたが、かなりのストレスが蓄積されたようだ。
秋も終わり、朝晩通し気温も20度前後の快適な季節になった
ある夜に無人になった犬舎で惨劇が起きた。 アイヌ犬親子6頭が
同居の狩猟指導犬の紀州犬を咬み倒した。(8日後に死亡)
アイヌ犬の危険な性格は、突如として野生動物のような粗暴な行動
が現れる。 隙をみせると群れになって襲う。これは野生のオオカミ
そのものである。 この性格は猟野で現れ、一緒のいる猟友や猟犬に
咬みつき組猟ができない。
しかし一頭にすると、おとなしく人に頼り飼い主に従順になる。
単独猟で我慢するしかない、ときわめて評判が悪い。
北海道の広大な環境の下で育ってきたアイヌ犬は、内地と異なる
四季にあった体型や性格が完成されたため内地ではアイヌ犬の真の姿
は見られない。
以上のようにアイヌ犬の性格が狩猟時に人畜に被害を与えるため
敬遠され天性である獣猟性を失いつつあることは確かである。」
参考文献 「アイヌ犬」木村まさお氏・大藪春彦氏他 スタジオ類発行
平成5(1993)年刊
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