D「富士号」の死
「甲斐犬」柳沢琢郎氏著(抜粋)
第32回甲斐犬愛護会展(東京新宿・大久保公園)で、一席に推された黒虎の牡で
「富士号」という犬がおりました。
飼い主は中野区朝日ヶ丘の花村四郎氏で、鳩山内閣の法務大臣を務め衆議員
当選8回を数え、大きな邸に住んでいました。
富士の両親犬は西山村産で、山梨の富士吉田市からもらってきたとのことでした。
仔犬のときから愛嬌のない、他人からみると馬鹿か利口か、さっぱりわからない
犬でした。
ところが、この富士がきてから5年後の昭和38年(1963)の春に、花村氏は高血圧
で倒れ、7月1日72歳の生涯を閉じられました。
そして、次のごとき不思議な出来事が起きました。
先生が亡くなってあわただしい数日が過ぎ、外来者も帰った初七日の夜、茶の間で
夕食をすませた家族が、誰も居ない仏間に行ったところ、富士が部屋の真ん中に
座ってじいっと仏壇の先生の写真を見上げているのでした。
先生の生前には、絶対に家の中に上がったことのない富士だったそうです。
無人の仏間で、黒枠の写真に目を沿えて対峙している犬の姿に、一種の鬼気を
感じて家族一同無言で立ち尽くしたそうです。
お孫さんが富士を抱き上げて、玄関に連れ出したのですが、人がいなくなると又、
仏間に上がりこんでしまうのでした。
俗人に知ることができない意思の疎通が、仏壇と富士の間に取り交わされたと
考えるのは間違いでしょうか。
その時から富士は一切の食事を絶ってしまいました。水すら飲まないのです。かかり
つけの獣医さんをよんだのですが、東京で名医といわれた渋谷獣医でも首をかしげる
ばかりで栄養剤の注射をするだけでした。そしてまる7日後に静かに息を引き取って
飼い主の後を追ってしまったのでした。
四十九日の法要を済ませて、先生のお骨は富士の虎毛と共に、多摩墓地に納め
られたとのことです。
花村四郎氏と忠犬富士
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