@昭和の初め、日本犬の保存の機運が高まった。
文明開化で明治時代に、数々の欧米文化の流入とともに、外国のワンちゃんもいろいろと
輸入された。 しかし、当時は「放し飼い」が普通で、この結果、和犬の急速な混血化を招いて
いった。
昭和4年3月 山梨県甲府地方検察庁に、和犬愛護家の安達太助氏が横浜より赴任した。
安達氏は、「甲斐日本犬愛護会」(後に「甲斐犬愛護会」に改名)の初代会長になった
が、この人が現在の甲斐犬保存の礎になったことは否定できない。
氏は山梨県内の虎毛の地犬に惹かれて原産地(甲斐の秘境)をもとめ幻の犬探しに遁走した。
そして当時、中巨摩郡芦安村(現、南アルプス市)、南巨摩郡奈良田村に群生していた地犬
を愛護会で譲り受け、この犬を基礎犬にして天然記念物「甲斐犬(かいけん)」を固定していった。
昭和6年 安達氏は芦安村の猟師から甲斐犬「ダン号」を譲られた。
鹿犬型のメスであった。同年11月3日「甲斐日本犬犬愛護会」創立
参考文献
甲斐犬愛護会発行「甲斐犬」「甲斐犬現勢」
甲斐犬保存の祖 安達太助翁と
愛犬「ダン号」
ダン号は熊、猪、鹿猟の勇敢軽快な名犬であった。
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甲斐犬の歴史
Mr. Taro Adachi
He found and preserved
the KAI-KEN in Yamanashi..
(1929)