のぶとらコラムW
闘犬と食犬の文化
平成17年9月16日
「犬猫大好き@2ch掲示板」に闘犬に関してのスレッドがあった。
たまたま暇なので最初のほうから読ませてもらった。
「闘犬」は非文明的な残虐行為ではないかというレスがあった。
小生は結論から言えばどっちかというと「闘犬」は立派な日本の文化だと
思っている。
闘犬は土佐24万石の大名「山の内家」の時代から五穀豊穣の神事として
高知県は桂浜でずっと行われてきたのだ。
その「2ch掲示板」で多分女性だとおもわれる方が、動物愛護の精神から懸命に
闘犬を止めるべきだと訴えておった。まぁ、その気持ちがわからないでもないが・・・。
でも犬権のはなしよりも先に、今の時代に中国や北朝鮮において人的権利も
認められず、日本の犬猫よりも惨めな状況におかれている人民がいる、 その
現実をみつめ一日も早い擁護を訴えていくべきだと感ずるがどうだろう。
話は変わるがベトナム、中国、韓国には犬を食らう文化がある。
小生もハノイで犬料理のフルコースを、どぶろくを飲みかわしながら堪能した
ことがある。特に犬のむね肉の焼いたのは香ばしくて、ちょっと油っぽくて旨かった
ことを覚えている。
食用の犬たちはレストランの階下でそれ用にと養殖されてたが、犬肉を食い
終わって帰るとき、彼らが「ヲオヲ〜ン」と遠吠えしたのを聞いたときはちょっと
複雑な気分であった。
小生が拓大に在学していたころ、寮にはいっている連中が赤犬を捕まえてきて
バーベキューにして食ってしまったことがある。これを当時(昭和42年ころ)の
毎日新聞が記事にして野蛮な行為だと非難したことがある。
犬を食ったことくらいで、がたがた言える人間がいたら教えてほしい。人間は、
栄養学を持ち出すまでもなく肉を喰らうことで元気に生きている。これは常識だ。
普段、豚や牛や馬や羊などを平気で殺して食っているのとどこが違うのだ。
口先だけで美しいことをいくらおっしゃっても人間の性(さが)は変えられない
のだ。
言うまでもなく戦いはやってはいけないし、さけねばならないのは当たり前だ。
が、人類の歴史はいくさの歴史だ。人間が戦うように犬もほっときゃけんかもする。
人間も犬も闘争心があるものだ。 人間は「K-1」や「プライド」で闘っている。
犬だって闘いたいのだ。.飼い主と犬がいっしょになって闘う行為が「闘犬」だ。.
犬を殺して食したり犬のけんかを楽しむくらいは、.イラクやアフガニスタンの
戦争や、テロ行為からみれば平和でのどかな風物詩として許される類のもの
ではあるまいか。
注)ちなみに甲府市のN動物病院の医師の話だと
犬の痛みの知覚は人間の六分の一だそうだ。
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