B野に帰った『駒』   甲斐犬愛護会刊「甲斐犬現勢」 阿部忠二氏(抜粋)


 これは、昭和20年(1945)前後の時代に、栃木県佐野市の一匹の野犬

『駒』の思い出です。

 子どものころから犬好きの私は、駅の近くの家で飼っていた赤虎毛の小振り

な中型の差し尾の日本犬を、小学校への道すがらよく覗いていたものでした。

 「おじさん、何て犬だい?」と、ある時聞いたら

 「やまなしから来た山犬だよ」という返事でしたので

 「山がないのに山犬かい?」と、聞き返して笑われたのをよく覚えています。

 やがて、戦争も厳しさを増し、食料事情も極度に悪くなってきました。

 敗戦の色も濃くなってきたころ、お国のためにという大義名分で、この『駒』も

ふくめ、役所の通知で飼い犬たちが撲殺される時が来ました。

 犬の飼い主たちは、一様に食物がない時なのに、縁起をかついで赤飯を

炊き、犬には心づくしのごちそうを与え、そして、犬に七生報国と書いた日の

丸のたすきを掛けて、まるで当時の出征兵士のような姿で送り出しました。

 こうしてやることが、飼い主たちのせめてもの悲しみに耐える別れ方だったと

思います。

 犬たちは、様々なざわめきと悲しみをあとに、冷徹な屠殺人の待つ川原の

テントにひかれていきました。 テントの中では、ただならぬ危機を察した犬

たちの、吠え声と悲痛な叫び声が入り乱れていました。

 屠殺人の鉄棒を振り下ろすにぶい打撃音が野原にこだまして、鮮血が耳や

鼻から飛び散る犬たちが、次々と断末魔のうめきをあげて死んでいく姿は、

わたしにとっては今も、戦争の深い傷跡としてよみがえってきます。

 やがて、しばらくしたある時、あの日撲殺されなめし皮にされているはず

だった『駒』を見たのです。

 短くちぎれた荒縄を首にひき、薄汚れた、たすき架けの日の丸そのままに、

川原へつづく田んぼ道を、さまよう様に歩いているのをみてびっくりしました。

 屠殺風景を、土手の上から見ていたという人の話では、虎毛の犬が犬殺し

がその鉄棒を振り上げた瞬間に、稲妻のようなスピードで利き腕に喰いつき、

そして、ひるんだすきに、あっという間に遁走して行ったそうです。

 しかし、『駒』は、知らせを聞いてかけつけた主人の呼び戻しにも、警戒して

近寄らないばかりか、用意した好物にも反応をみせず、やがて再び夕闇に

消えていってしまいました。

 それ以来、『駒』は誰にもなつかず、野生の鳥獣を追う、神出鬼没の生活を

するようになりました。しかし、農家の庭先の鶏や家畜は、決して襲わない

犬でした。





            

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