のぶとらコラムV   平成17年(2005)8月11日

 昭和34年(1959)発行の「
高安犬(こうやすいぬ)物語」は、夏休みに読んで

みたいお勧めBOOKだ。    戸川幸夫著・新潮文庫 


中身は、(1)高安犬物語-最後の高安犬を探し、保存を試みた物語

       (2)熊犬物語-高安犬を熊犬に仕込む物語

        (3)北へ帰る-東京の医者に売られた高安犬が、
           吾妻連峰の大地を目指して逃避行する物語

         (4)土佐犬物語 

          (5)秋田犬物語  

  の5つの甲斐犬愛好家には興味深いお話が載っている。

  
 獣猟犬に興味がある方に

(「
熊犬物語」 から、さわりの部分だけご紹介します。)

 高安犬というのは山形県置賜郡高畠町高安を中心に繁殖した

熊犬(熊猟犬)
で、東北で熊狩をする猟師なら誰でも欲しがる優秀犬種だが、

惜しいことには純血犬は絶えている。 

 猟師の安蔵は「キチ」という雌の高安犬を飼っていた。キチは白く、耳の

尖がほんのり薄茶で、当時現存していた高安犬の代表的な毛色だった。

 安蔵はそのキチに秋田マタギ犬を交配(かけ)てみた。秋田マタギ犬は俗に

秋田犬(あきたいぬ)といわれる大館犬(おおだていぬ)ではない。この犬は中型、

精悍、軽捷さの高い獣猟犬だ。しかし、これも今や絶滅している。

 子犬は6匹生まれたがキチに似た白色は1匹だけ。牡である。この高安の血の

濃い白犬を、この界隈きっての熊打ち名人の源次が引き取って行った。

 源次は生後5ヶ月の「シロ」を徹底的に鍛えた。アト、サキ、マテ、ユケ、フセ

などの基本的訓練は1週間で覚えた。それが終わると熊の臭いに慣らすことで

ある。犬は熊の毛皮をみせただけで吠える。それは怯えである。源次はシロの

寝ている鼻ッ先に熊皮の腰当をほおった。シロは驚かないで怒ってずたずた

に引き裂いた。熊の油をぬった馬肉も与えその刺激臭にも平気にさせた。熊が

獲れた時には熊の生肉を与えた。

 体の小さな犬は大きな熊を本能的に怖れる。それが当然なのだ。犬は熊に肉体

的には勝てない。喰らいついたところを熊に殴り殺されるのだ。しかし頭脳的には

勝つことができる。犬に勇気と警戒心を備えさせるのが訓練であった。

 源次は毎日シロを連れて山に入った。熊の跡を追うことや川を泳いだり

潜ったりする術を身につけさせた。

 秋熊の季節が来た。吹雪のように白いシロは10ヶ月の立派な若犬になって

いた。 源次はシロを連れて本格的な熊猟を始めた。毎夜、トウモロコシを求めて

山里に下りて来る冬眠準備の熊を待ち伏せしたのだ。シロは初陣で無謀にも熊に

いきなり飛びかかって大きな掌で顔面を叩きつけられ死にかけたこともあった。

 秋熊までが基本だとすると冬眠から覚めた春熊はその実地訓練だ。

 不用意な攻撃は死を意味することを学んだシロは、地どり熊を見つけたときも、

決して飛びかかろうとせず熊が逃げようとするのを後ろから吠え付いた。

 熊の怒りの攻撃にもシロは一瞬早く飛びさがる。犬の方にばかり気をとられて

いるうちに熊は源次の村田銃の洗礼を受けるのであった。


熊猟の壮厳な山の儀式

 熊を獲ると猟師たちは山の神、猟の神にお礼を云う毛祭りをする。頭の毛、両耳

の毛、四脚の毛を少しづつ切って木の枝に供えた。そして

 「
我は猿丸猟師孫なるが、御山の神、日光権現の御故弁を以て今まで繁昌

して狩りて回り候。御山の神様、日光権現へ毛先をほぎほぎと差上げ

申し候。大久保七谷のなびれ(熊のこと)こしまけ(カモシカのこと)を、

この一沢にて捕(まるめ)させ下さる様、願い奉り候。」

と声高らかに唱えた。

 毛祭りが終わると、猟師たちは山刃を抜いて熊の心臓を刺す。ほとばしった血を

木椀に受けて一同に回し呑みをする。しばらくすると猟師たちの雪焼けした顔が赤く

火照(ほて)って身体がカッカッとしてくる。

 皮を剥ぎ胆を取り終えると臓腑を犬に与えた。犬は、これで熊に対する

闘争心を一層かき立てるのだった。


                                                


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